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KISSの知っていると面白いエピソード30選

KISSには、派手なメイクや火を吹くステージだけでなく、結成前の意外な経歴、売れなかった時代の苦労、メンバー同士の衝突など、数多くの面白い逸話があります。

ここでは、KISSの歴史をより楽しめるエピソードを30個紹介します。

目次

1.ジーン・シモンズは元小学校教師

悪魔のメイクで血を吐くジーン・シモンズですが、KISS結成前には小学校教師として働いた経験があります。

大学で教育課程を学んでいたためで、あの「デーモン」が子どもたちに勉強を教えていたと考えると、かなり意外です。

2.ジーン・シモンズは8歳までイスラエルで暮らしていた

シモンズは1949年にイスラエルで生まれ、出生時の名前はハイム・ヴィッツでした。

家庭は裕福ではなく、幼少期には友人と果物を集め、道端で売ったこともあったといわれています。8歳のときに母親とアメリカへ移住しました。

3.ポール・スタンレーは右耳がほとんど聞こえなかった

ポール・スタンレーは、生まれつき右耳が十分に形成されない「小耳症」でした。そのため右耳の聴力がほとんどありません。

それでも音楽を諦めず、KISSのメインボーカルとして巨大な会場を支配する存在になりました。

4.ピーター・クリスの募集広告には「何でもやります」

ピーター・クリスは雑誌『ローリング・ストーン』にドラマー募集の広告を掲載しました。

そこには「ドラマー、何でもやります」という趣旨の言葉が書かれており、それを見たジーン・シモンズが連絡したことからKISS結成へつながりました。

5.エース・フレーリーは左右で色の違う靴を履いてきた

リードギタリストのオーディションに現れたエース・フレーリーは、左右で色の違う靴を履いていました。

服装だけでなく態度も独特で、ほかの候補者が演奏している最中に勝手にギターを準備し始めたともいわれています。しかし、演奏を始めるとメンバーを圧倒し、見事に合格しました。

6.「エース」は女性にモテたことから付いた名前

フレーリーの本名はポール・ダニエル・フレーリーです。

友人の女性を別の男性に紹介することが得意だったため、トランプの最上位を意味する「エース」と呼ばれるようになったとされています。

7.KISSという名前は「Lips」から生まれた

ピーター・クリスは以前、「Lips」というバンドで活動していました。

その話を聞いたポール・スタンレーが、「LipsならKissはどうだろう」と考えたことがバンド名の由来とされています。

悪魔的な見た目とは対照的に、バンド名そのものは非常に短く、親しみやすい言葉でした。

8.有名なKISSロゴを考えたのはエース

最後の2文字「SS」が稲妻になったKISSのロゴは、エース・フレーリーが原型を描きました。

ポール・スタンレーが定規とマーカーを使って清書しましたが、左右の文字が完全には平行になりませんでした。それでも「ここまで来られたのだから、このままでよい」と修正しなかったといわれています。

9.ドイツではKISSのロゴが違う

KISSの「SS」は、ナチス親衛隊の記章と似ています。

もちろん、ユダヤ系であるジーン・シモンズとポール・スタンレーにナチスを賛美する意図はありません。しかし、ドイツなどでは問題になるため、「SS」を逆向きの「ZZ」のように変更したロゴが使われています。

10.KISSの初ライブは観客が10人にも満たなかった

KISSとしての初公演は、1973年1月30日にニューヨークのポップコーン・クラブで行われました。

後に世界中のアリーナを満員にするバンドですが、この日の観客は10人にも満たなかったと伝えられています。

11.最初から現在のメイクだったわけではない

初期のKISSは、とりあえず顔を白く塗ったような、まだ完成度の低いメイクでした。

ライブを重ねながら少しずつ形を変え、スターチャイルド、デーモン、スペースマン、キャットマンというデザインが完成しました。

12.ポールには「バンディット」という別メイクがあった

ポール・スタンレーは、一時期、目の周囲を赤く縁取った「バンディット」と呼ばれるデザインを試しています。

しかし、本人が気に入らなかったことなどから短期間で廃止され、左目に星を描くスターチャイルドへ戻りました。

13.ジーンは火吹きで何度も髪を燃やしている

ジーン・シモンズの代表的なパフォーマンスが、口に含んだ燃料を吹き出す火吹きです。

サーカス関係者から方法を教わったとされていますが、毎回安全に成功したわけではありません。風向きなどの影響で炎が戻り、自分の髪を燃やしてしまったことが何度もあります。

新聞には「頭に火をつけながら演奏するベーシスト」と報道されたこともあったそうです。

14.売れない時代の給料は週85ドルほどだった

デビュー直後のKISSは、派手な衣装でステージに立ちながら、経済的には厳しい生活を送っていました。

長距離を車で移動し、後部座席で眠り、豆やフランクフルトなど安い食事でしのいでいたといわれています。

15.スーツを持っていたのはピーターだけだった

アルバム『Dressed to Kill』のジャケットには、ビジネススーツを着た4人が写っています。

しかし、当時自分のスーツを持っていたのはピーター・クリスだけでした。残りのメンバーは、マネージャーのビル・オーコインらからスーツを借りて撮影しています。

サイズが合っていないのは、そのためです。

16.『Alive!』はKISSだけでなくレコード会社も救った

初期のスタジオアルバムは、期待したほど売れませんでした。一方、ライブの評判は各地で高まっていました。

そこで制作されたのが、1975年のライブアルバム『Alive!』です。

同作は大ヒットし、KISSを一躍スターに押し上げました。同時に、倒産寸前だったカサブランカ・レコードを救った作品ともいわれています。

17.「Beth」は最初「Beck」という曲だった

KISS最大級のバラードヒット「Beth」は、もともと「Beck」というタイトルでした。

ピーター・クリスの以前のバンド仲間の妻、レベッカが頻繁に練習場へ電話してきたことが曲の着想になったとされています。

当初はやや皮肉な内容でしたが、ボブ・エズリンの編曲によって切ないバラードへ変化しました。

18.「Beth」はKISSのメンバーがほとんど演奏していない

「Beth」で歌っているのはピーター・クリスですが、伴奏の中心はピアノとオーケストラです。

ギター、ベース、ドラムといった通常のKISSらしい演奏はほとんど入っていません。バンドの代表曲でありながら、実質的にはピーターの歌と外部演奏家による異色作です。

19.エースの感電事故から「Shock Me」が生まれた

1976年、エース・フレーリーはステージ上で金属製の手すりに触れ、強い電気ショックを受けました。

一時は意識を失いかけ、手にもダメージを負いましたが、回復するとライブを最後まで続けたと伝えられています。

この事故を題材に書かれたのが「Shock Me」です。フレーリーがKISSで初めてリードボーカルを担当した曲でもあります。

20.日本の空港でメイクを落とすよう求められた

1977年の初来日時、メンバーはKISSのメイクをしたまま空港の入国審査を通ろうとしました。

しかし、パスポートの顔写真と一致しないため、職員から素顔を確認させるよう求められたという逸話があります。

KISSにとって素顔は重要な秘密だったため、入国手続きさえ簡単ではありませんでした。

21.Marvelのコミックに本物の血を入れた

1977年に発売されたMarvelのKISSコミックでは、メンバー4人から実際に採血しました。

その血液を赤い印刷用インクに混ぜたと宣伝され、大きな話題になります。採血から印刷所での混合作業まで、立会人を置いて記録したとされています。

真偽不明の都市伝説ではなく、宣伝イベントとして本格的に実行された企画です。

22.KISSは何でもグッズにした

KISSは、レコードやTシャツだけでなく、人形、トレーディングカード、ボードゲーム、弁当箱、ラジオ、マスク、ピンボール台など、さまざまな商品を販売しました。

後年にはKISSブランドの棺まで登場しています。

ジーン・シモンズは商品展開に非常に積極的で、KISSを音楽グループではなく、キャラクタービジネスとしても成長させました。

23.4人のソロアルバムを同じ日に発売した

1978年、メンバー4人は、それぞれの名義によるソロアルバムを同じ日に発売しました。

4枚のジャケットを並べると統一感のあるデザインになるという、大規模な企画でした。

表向きはKISS人気を拡大する戦略でしたが、実際には音楽性や発言権をめぐるメンバーの不満を抑える目的もあったと考えられています。

24.4人のソロ作品で最も成功したのはエース

ソロアルバム4作品のうち、最も商業的に成功したのはエース・フレーリーの作品でした。

収録曲「New York Groove」が大ヒットし、それまでバンド内で発言力が弱かったフレーリーの才能が再評価されます。

一方、ピーター・クリスの作品は売り上げが伸びず、4人の立場の違いをさらに目立たせる結果となりました。

25.KISS主演映画はメンバー自身も嫌っている

1978年、KISSはテレビ映画『KISS Meets the Phantom of the Park』に主演しました。

KISSの4人が特殊能力を使って悪と戦うという内容でしたが、低予算の特撮や脚本の完成度が問題となり、ファンの評価も芳しくありませんでした。

メンバー自身もこの作品を否定的に語っており、KISSの歴史における“珍作”として知られています。

26.エリック・カーは不合格だと思って記念写真を頼んだ

ピーター・クリスの後任オーディションを受けたエリック・カーは、自分が採用されるとは思っていませんでした。

そのため「もう会うことはないかもしれない」と考え、オーディション終了後にKISSのメンバーと記念写真を撮らせてもらったそうです。

ところが、結果は合格。彼はその後、約11年間にわたってKISSを支える重要なメンバーとなりました。

27.映画が中止になったため、映画音楽だけでアルバムを作った

1981年の『Music from “The Elder”』は、当初計画されていたファンタジー映画のための音楽が基になっています。

しかし映画そのものは制作中止となり、楽曲だけが残りました。そこでKISSは、その音楽を使って物語形式のコンセプトアルバムを完成させます。

ところが、従来のKISSらしいハードロックを期待したファンには受け入れられず、商業的に大きく失敗しました。

28.KISSはテレビで突然素顔を公開した

1983年、人気回復を目指したKISSは、約10年間隠してきた素顔をMTVで公開しました。

メイクを外すだけで世界的なニュースになるほど、当時のKISSの素顔は謎に包まれていました。

素顔で制作した『Lick It Up』はヒットし、KISSは新しい世代のファンを獲得します。

29.オリジナルメンバー再結成のきっかけは『MTV Unplugged』

1995年の『MTV Unplugged』では、当時のメンバーに加えて、エース・フレーリーとピーター・クリスがゲスト出演しました。

元メンバーと現メンバーが一緒に演奏する姿は、大きな反響を呼びます。

翌1996年、オリジナルメンバー4人はメイクと衣装を復活させ、正式に再結成しました。

30.一度目の「フェアウェルツアー」から23年後に本当の最終公演を行った

KISSは2000年に「Farewell Tour」を開始しました。名前どおりなら、これが最後のツアーになるはずでした。

しかし、その後もメンバーを入れ替えながら活動を継続。新作アルバムも発表し、世界各地でライブを行いました。

最終的に恒常的なツアー活動を終えたのは、23年後の2023年です。最後の公演は、故郷ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで行われました。

まとめ

KISSのエピソードには、派手な外見から想像できる豪快な話だけでなく、売れない時代の苦労や、メンバーのコンプレックス、対立、再起の物語も含まれています。

特に印象的なのは、KISSが偶然売れたバンドではないことです。

メイク、ロゴ、衣装、キャラクター、ステージ演出、グッズまで、自分たちがどう見られるかを徹底的に考えていました。その一方で、作り上げた巨大なKISSという存在に、メンバー自身が振り回されることもありました。

こうした成功と失敗の両方を知ることで、KISSの音楽やライブをさらに面白く楽しめるのではないでしょうか。

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