豪華な衣装、緻密な多重録音、圧倒的な歌唱力、劇場型のステージ――。
Queenは、1970年代のイギリスを代表する華やかなロックバンドです。
一方のセックス・ピストルズは、短く攻撃的な楽曲、反体制的な歌詞、観客を挑発する態度によって、既存のロックそのものを否定しました。
音楽的にも文化的にも正反対に見える2組ですが、実はその歴史にはいくつもの興味深い接点があります。
Queenのテレビ出演キャンセルによって、セックス・ピストルズを一夜にして有名にした「ビル・グランディ事件」が発生。さらに1977年には、両バンドが同じスタジオで、それぞれの代表作を録音していました。
スタジオではジョニー・ロットンとQueenのメンバーが音楽について話す一方、シド・ヴィシャスがフレディ・マーキュリーを挑発し、逆にやり込められたという有名な事件も起きています。
本記事では、Queenとセックス・ピストルズの関係を、テレビ出演、レコード会社、スタジオでの遭遇、音楽性の違いという視点から詳しく紹介します。
Queenとセックス・ピストルズの関係を簡単に整理
Queenとセックス・ピストルズは、正式に共演したバンドでも、継続的な交流があったバンドでもありません。
しかし、両者の間には次のような接点がありました。
| 年代 | 主な出来事 |
|---|---|
| 1976年 | Queenがテレビ出演をキャンセルし、セックス・ピストルズが代役になる |
| 1976年 | 代役出演したピストルズが「ビル・グランディ事件」を起こす |
| 1977年 | Queenとピストルズが同じウェセックス・サウンド・スタジオを使用 |
| 1977年 | ジョニー・ロットンとQueenのメンバーが交流 |
| 1977年 | シド・ヴィシャスがフレディ・マーキュリーを挑発 |
| 1977年10月28日 | Queenとピストルズが、それぞれの代表的アルバムを同日に発売 |
| その後 | Brian Mayがジョニー・ロットンの人柄とカリスマ性を評価 |
Queenとセックス・ピストルズの関係で特に重要なのは、1976年のテレビ出演と、1977年のスタジオでの遭遇です。
1976年|Queenとセックス・ピストルズはともにEMIと契約
1976年当時、Queenはすでにイギリスを代表するロックバンドでした。
1975年に発売した「Bohemian Rhapsody」は全英1位を記録し、アルバム『A Night at the Opera(オペラ座の夜)』も大きな成功を収めています。
フレディ・マーキュリー、ブライアン・メイ、ロジャー・テイラー、ジョン・ディーコンの4人は、高度な演奏技術と緻密な多重録音、劇場的なステージによって世界的な人気を獲得していました。
一方、セックス・ピストルズはまだデビューしたばかりでした。
1976年に大手レコード会社EMIと契約し、11月26日に「Anarchy in the U.K.」を発売します。
つまり、ごく短い期間ではありますが、Queenとセックス・ピストルズは同じEMIに所属するバンドでした。
ただし、レコード会社内における立場はまったく異なります。
Queenは実績のある大スターでしたが、セックス・ピストルズはライブ会場で騒動を起こし、新聞から危険視されていた新人バンドでした。
このEMIとのつながりが、後に音楽史に残るテレビ事件を生み出します。
1976年12月|Queenがテレビ出演をキャンセル
1976年12月1日、Queenはイギリスのテレビ番組『Today』に出演する予定でした。
司会を務めていたのはビル・グランディです。
ところが、フレディ・マーキュリーが歯の治療を受けることになり、Queenは出演をキャンセルしました。
フレディは以前から歯科医院へ行くことを避けていましたが、このときは強い痛みを抱え、治療を受けざるを得ない状態だったとされています。
急きょ出演者を失った番組に対し、EMIが代役として送り込んだのがセックス・ピストルズでした。
当時のピストルズは「Anarchy in the U.K.」を発表したばかりで、一般の視聴者にはまだほとんど知られていません。
しかし、この代役出演が、セックス・ピストルズの運命を大きく変えることになります。Louder Sound
ビル・グランディ事件で何が起きたのか
セックス・ピストルズは、メンバーだけでなく、マネージャーのマルコム・マクラーレンや、ブティック「SEX」周辺に集まっていた若者たちとともに番組へ出演しました。
生放送が始まると、司会者のビル・グランディはバンドを真剣に紹介するのではなく、からかうような態度で質問を続けます。
グランディは、セックス・ピストルズがEMIから多額の契約金を受け取ったことを取り上げ、反物質主義を掲げながら大手レコード会社と契約するのは矛盾ではないかと追及しました。
ジョニー・ロットンが小声で放送禁止用語を口にすると、グランディは聞こえなかったふりをして、もう一度言うように促します。
ロットンは、今度ははっきりと同じ言葉を繰り返しました。
さらにグランディは、一緒に出演していた女性に対して挑発的な態度を取ります。
これに反応したのが、酒を飲んでいたスティーヴ・ジョーンズでした。
ジョーンズはグランディを激しく罵り、生放送中に複数の放送禁止用語を口にします。
わずか数分で英国中に知られる存在へ
番組内でのやり取りは、わずか数分でした。
しかし、当時のイギリスのテレビは現在よりもはるかに保守的で、夕方の生放送で放送禁止用語が使われたことは大事件となります。
翌日の新聞はセックス・ピストルズを大きく取り上げ、メンバーを若者に悪影響を与える危険な存在として激しく非難しました。
予定されていた公演の多くが中止され、EMIとの関係も急速に悪化します。
最終的にEMIは、1977年1月にセックス・ピストルズとの契約を解除しました。
一方、全国的な非難によってバンド名は一気に広がります。
それまで一部のライブハウスや若者にしか知られていなかったセックス・ピストルズは、一夜にして英国中が知る存在になったのです。
フレディの歯痛がピストルズを有名にした
セックス・ピストルズがビル・グランディ事件を起こした直接的な理由は、Queenの代役として番組へ出演したことです。
そのQueenが出演を取りやめた理由は、フレディ・マーキュリーの歯の問題でした。
つまり、フレディが予定どおり出演していれば、ピストルズが番組へ出ることもなく、ビル・グランディ事件も起こらなかった可能性があります。
もちろん、セックス・ピストルズはすでにロンドンのパンクシーンで注目されていました。
「Anarchy in the U.K.」も発売されていたため、テレビ事件がなくても、いずれ全国的な存在になった可能性はあります。
しかし、グランディ事件がその時期を大幅に早めたことは間違いありません。
Queenとセックス・ピストルズの最初の重要な関係は、正式な共演ではなく、出演キャンセルと代役という偶然から生まれたのです。
1977年|同じウェセックス・サウンド・スタジオへ
1977年、Queenとセックス・ピストルズは、ロンドン北部にあったウェセックス・サウンド・スタジオを同時期に利用していました。
Queenが制作していたのは、6枚目のスタジオアルバム『News of the World(世界に捧ぐ)』です。
一方のセックス・ピストルズは、最初にして最後のオリジナルアルバム『Never Mind the Bollocks, Here’s the Sex Pistols』を制作していました。
同じ建物の中で、1970年代のイギリスを代表する2つのバンドが、それぞれまったく異なる音楽を録音していたことになります。
Queenは、すでに世界的な成功を収めていました。
セックス・ピストルズは、EMIとA&Mレコードから相次いで契約を解除され、ヴァージン・レコードと新たに契約したばかりでした。
社会的な立場も音楽性も正反対でしたが、スタジオの廊下や部屋ではメンバー同士が顔を合わせるようになります。
Queenが録音していた『News of the World』
『News of the World』には、Queenを代表する2曲が収録されています。
- 「We Will Rock You」
- 「We Are the Champions」
Queenは、それ以前の『A Night at the Opera』や『A Day at the Races』で、複雑な多重録音やオペラ的な構成を追求していました。
それに対して『News of the World』では、より直接的でライブ向きのサウンドへ接近しています。
「We Will Rock You」は、足を踏み鳴らす音と手拍子、ボーカルを中心とした極めてシンプルな構成です。
「We Are the Champions」も、観客が一緒に歌える大合唱型の楽曲でした。
この変化は、同時期に起きていたパンクムーブメントへの対応だったと説明されることがあります。
しかしブライアン・メイは、音楽をシンプルにする方針はパンクが広がる前から考えていたと説明しています。
パンクの登場と時期が重なったことは認めていますが、セックス・ピストルズに影響されて路線変更したとまではいえません。The Quietus
ピストルズが録音していた『勝手にしやがれ!!』
セックス・ピストルズがウェセックス・サウンド・スタジオで制作していたのは、『Never Mind the Bollocks, Here’s the Sex Pistols』です。
日本では『勝手にしやがれ!!』の邦題で知られています。
収録された代表曲は次のとおりです。
- 「Holidays in the Sun」
- 「Bodies」
- 「God Save the Queen」
- 「Anarchy in the U.K.」
- 「Pretty Vacant」
- 「E.M.I.」
プロデューサーはクリス・トーマスで、エンジニアとしてビル・プライスが参加しました。
セックス・ピストルズには演奏が下手なバンドというイメージがありますが、アルバムは緻密に作られています。
スティーヴ・ジョーンズがギターを何層も重ね、ベースの大部分も演奏。ポール・クックの安定したドラムと組み合わせることで、分厚く攻撃的なサウンドが完成しました。
Queenほど複雑な録音ではありませんが、セックス・ピストルズも単にスタジオで一発録りをしたわけではありません。
両バンドとも、多重録音やスタジオ技術を使いながら、それぞれ異なる方向のロックサウンドを作っていたのです。
ジョニー・ロットンとQueenの交流
ジョニー・ロットンは、Queenのような大物ロックバンドを公の場で批判しそうな人物に見えます。
しかし、実際にQueenのメンバーと会った際には、比較的礼儀正しく接していました。
ブライアン・メイは後年、ジョニー・ロットンについて、会ったときはいつも敬意を持って接し、音楽について会話したと振り返っています。
パンクとQueenは音楽的には正反対でしたが、メンバー同士が常に敵対していたわけではありません。
ロットンがQueenのスタジオへ入り、フレディに挨拶したという奇妙な逸話も残っています。
四つんばいでフレディに挨拶
ウェセックス・サウンド・スタジオで作業していた際、ジョニー・ロットンはQueenの部屋を訪れました。
関係者の証言によると、ロットンは普通に歩いて入るのではなく、四つんばいになってスタジオの中へ入ってきたといいます。
ピアノを弾いていたフレディ・マーキュリーのそばまで進み、「ハロー、フレディ」と挨拶。
そして、再び四つんばいのまま部屋を出ていきました。
その直後、Queen側の関係者がピストルズのエンジニアへ「もうやらせないでほしい」と伝えたとされています。
行動自体は奇妙ですが、ロットンはフレディを直接侮辱したわけではありません。
ブライアン・メイの証言どおり、ロットンとQueenの関係は、少なくとも敵対一色ではなかったようです。
ブライアン・メイからバックコーラスに誘われた?
ジョニー・ロットンは後年、スタジオでブライアン・メイから『News of the World』のバックコーラスに参加しないかと誘われたと語っています。
ロットンが実際に録音へ参加することはありませんでした。
そのため、Queenとセックス・ピストルズによる正式な共演作品は存在しません。
それでも、音楽性が正反対の2組が同じスタジオで話し、一時は共演の可能性まであったという点は興味深いものです。ブライアン・メイ公式サイト
シド・ヴィシャスとフレディ・マーキュリーの衝突
ジョニー・ロットンとQueenの関係が比較的穏やかだった一方、シド・ヴィシャスはフレディ・マーキュリーを挑発しました。
当時、フレディは音楽誌のインタビューで、ロックとバレエの共通点について語っていました。
フレディはバレエに強い関心を持ち、ロックのステージも含めて、さまざまな芸術表現を取り入れようとしていました。
シドはこの発言を知っており、Queenのスタジオへ入ると、フレディに対して皮肉を言います。
「バレエを大衆に広めることには成功したのか」
パンク側から見れば、バレエは上流階級や高尚な芸術を連想させるものでした。
シドは、労働者階級の若者によるパンクと、バレエを語る華やかなロックスターの違いをからかおうとしたのでしょう。
フレディが「サイモン・フェロシャス」と反撃
シドの挑発に対して、フレディは動揺しませんでした。
シド・ヴィシャスの名前をわざと間違え、「サイモン・フェロシャス君」といった調子で呼び返したとされています。
「Vicious」と「Ferocious」は、どちらも凶暴さを表す言葉です。
また、シドの本名にはサイモンが含まれていたため、フレディは芸名の恐ろしさを茶化しながら、本名に近い呼び方をしたことになります。
フレディはさらに「私たちは努力しているところだよ」と皮肉を返しました。
シドが詰め寄ろうとすると、フレディは「それで、あなたはどうするの?」と動じずに応じます。
関係者によると、最終的にフレディがシドの襟元をつかみ、部屋の外へ押し出したと伝えられています。Louder Sound
フレディはシドを恐れなかった
シド・ヴィシャスは、危険で予測不能なパンクスターとして知られていました。
細い体、逆立てた髪、安全ピン、傷だらけの体、暴力的な態度によって、相手を威圧する存在でした。
しかし、フレディはシドのイメージにまったく屈しませんでした。
シドが「危険なパンクスター」という役割を演じていることを見抜き、それを笑いに変えたのです。
後にフレディは、シドが自分に言い返されたことを嫌がっていたと振り返っています。
ロジャー・テイラーもシドに対して厳しい評価を残しており、Queen側はシドの態度に良い印象を持っていなかったようです。
ただし、この出来事を理由に、Queenとセックス・ピストルズが全面的に対立していたと考えるのは正確ではありません。
あくまでも、シドとフレディの間で起きた個人的な衝突です。
Queenとピストルズのアルバムは同じ日に発売
1977年10月28日、Queenの『News of the World』と、セックス・ピストルズの『Never Mind the Bollocks』が発売されました。
同じスタジオを使った2組のアルバムが、同じ日に世に出たことになります。
収録された代表曲を比べると、両者の違いが明確に分かります。
| Queen | セックス・ピストルズ |
|---|---|
| 「We Will Rock You」 | 「Anarchy in the U.K.」 |
| 「We Are the Champions」 | 「God Save the Queen」 |
| 観客の一体感を作る音楽 | 観客や社会を挑発する音楽 |
| 勝利を宣言するアンセム | 未来がないと訴える反体制歌 |
| 世界的スターの音楽 | 社会からはみ出した若者の音楽 |
Queenは「We Are the Champions」で勝者としての誇りを歌いました。
セックス・ピストルズは「God Save the Queen」で、イギリスに未来はないと歌いました。
同じ時代、同じ国、同じスタジオから、正反対のメッセージを持つロックが生まれたのです。
Queenはパンクが攻撃した「古いロック」だったのか
セックス・ピストルズをはじめとするパンク世代は、既存の大物ロックバンドを批判しました。
1970年代半ばのロックは、高度な演奏技術、大がかりなステージ、長い楽曲、高価な機材を特徴とするようになっていました。
若者が気軽に参加できる音楽ではなくなり、スターと観客の距離も広がっていたのです。
Queenは、まさに高度な演奏と豪華なステージを得意とするバンドでした。
そのため、パンク側から攻撃されやすい存在だったことは確かです。
しかしQueenは、単に古いロックを繰り返すバンドではありませんでした。
「Bohemian Rhapsody」のような複雑な作品を作る一方、「We Will Rock You」のように、足踏みと手拍子だけで世界中の観客を参加させる曲も生み出しています。
Queenもセックス・ピストルズも、方法は正反対ですが、それまでの音楽にはなかった衝撃を観客へ与えようとしていました。
Queenとセックス・ピストルズの違い
| 比較項目 | Queen | セックス・ピストルズ |
|---|---|---|
| 音楽性 | ハードロック、ポップ、オペラ、グラム | パンクロック |
| 演奏 | 高度で緻密 | シンプルで攻撃的 |
| 録音 | 大規模な多重録音 | 分厚いギター中心の直接的な音 |
| ステージ | 劇場的で華やか | 対立的で危険 |
| 観客との関係 | 観客を巻き込み一体化 | 観客を挑発し緊張を生む |
| 主なイメージ | スター、勝利、解放 | 反抗、怒り、未来のなさ |
| 代表曲 | 「We Will Rock You」 | 「Anarchy in the U.K.」 |
一見すると共通点がないように見えます。
しかし、両者ともロックに強烈なキャラクターを持ち込み、観客の記憶に残る方法を徹底した点では共通しています。
フレディ・マーキュリーもジョニー・ロットンも、ほかの歌手では代わりが務まらないフロントマンでした。
Queenは観客からの愛情を受け止め、それを巨大な一体感へ変えました。
ロットンは観客から愛されようとせず、緊張や怒りを生み出しました。
方向は逆でも、2人ともフロントマンの役割を大きく変えた人物です。
Queenとセックス・ピストルズは敵だったのか
Queenとセックス・ピストルズを、旧世代と新世代の敵対関係として描くことはできます。
実際、当時のメディアは、豪華なロックと単純なパンクを対立させました。
しかし、メンバー同士の関係はそれほど単純ではありません。
ブライアン・メイは、ジョニー・ロットンと音楽について話し、礼儀正しい人物だったと評価しています。
ロットンも、Queenのスタジオを訪れ、メンバーと交流しました。
スティーヴ・ジョーンズとブライアン・メイも、後年に対談しています。
問題を起こしたのは主にシド・ヴィシャスであり、フレディもその挑発を深刻な対立ではなく、皮肉で切り返しました。
したがって、Queenとセックス・ピストルズを「犬猿の仲だった」と説明するのは正確ではありません。
音楽的には対極でしたが、個人レベルでは会話や相互評価もあった関係です。
まとめ|正反対の2組が同じ時代のロックを変えた
Queenとセックス・ピストルズには、正式な共演作品や長期的な交流はありません。
しかし、その歴史には複数の重要な接点があります。
1976年、Queenがテレビ出演をキャンセルしたことで、セックス・ピストルズが急きょ代役に選ばれました。
その生放送で起きたビル・グランディ事件によって、ピストルズは一夜にして英国中に知られる存在になります。
1977年には、両バンドがウェセックス・サウンド・スタジオでアルバムを制作しました。
Queenは『News of the World』、セックス・ピストルズは『Never Mind the Bollocks』を録音し、両作品は同じ1977年10月28日に発売されます。
スタジオではジョニー・ロットンがQueenのメンバーと音楽について話し、ブライアン・メイからバックコーラスに誘われたという証言も残りました。
一方、シド・ヴィシャスはフレディ・マーキュリーを挑発します。
しかしフレディは「サイモン・フェロシャス」と皮肉で切り返し、シドの危険なイメージに屈しませんでした。
Queenは、高度な演奏、華やかなステージ、観客との一体感を追求しました。
セックス・ピストルズは、単純で攻撃的な音楽、反体制的な歌詞、観客との緊張を武器にしました。
音楽的には正反対ですが、両者とも既存のロックの可能性を拡大し、その後の音楽文化に大きな影響を与えています。
Queenとセックス・ピストルズは、単純な敵同士ではありません。
1970年代後半というロックの転換期に、豪華さと反豪華さ、スター性と反スター性という正反対の方向から、それぞれの方法で時代を変えた2組だったのです。
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