「パンクは楽器が弾けない若者の音楽」「セックス・ピストルズは演奏が下手だった」――。
セックス・ピストルズには、現在でもこのようなイメージがあります。
特に2代目ベーシストのシド・ヴィシャスがほとんどベースを弾けなかったことから、バンド全体が演奏できなかったと思われがちです。
しかし、実際の音源やメンバーの証言を確認すると、この評価は正確ではありません。
確かに、セックス・ピストルズはプログレッシブロックやハードロックのような複雑な演奏を重視していませんでした。初期には演奏経験も少なく、ライブで失敗することもありました。
一方、唯一のオリジナルアルバム『Never Mind the Bollocks, Here’s the Sex Pistols』では、分厚く重ねられたギター、安定したドラム、覚えやすいメロディー、強烈なボーカルが一体となっています。
さらに、敵対的な観客を前にしたアメリカツアーでも、バンドは最後まで演奏を成立させました。
本記事では、セックス・ピストルズのメンバーそれぞれの実力、アルバムの録音方法、シド・ヴィシャスの実際の演奏、ライブでの評価などから、「セックス・ピストルズは本当に演奏が下手だったのか」を検証します。
セックス・ピストルズは本当に演奏が下手だったのか
最初に結論を述べると、セックス・ピストルズは技巧派バンドではありませんが、バンド全体が演奏できなかったわけでもありません。
初期メンバーのスティーヴ・ジョーンズ、ポール・クック、グレン・マトロックは、それぞれ異なる形でセックス・ピストルズの音楽を支えていました。
ジョニー・ロットンも一般的な意味で美しい声を持つ歌手ではありません。しかし、歌詞の怒りや皮肉を一瞬で伝える表現力を備えていました。
問題は、グレン・マトロックの後任として加入したシド・ヴィシャスです。
シドはパンクを象徴する圧倒的な外見を持っていた一方、プロのバンドで安定して演奏できるほどのベース技術を持っていませんでした。
シドの存在感があまりにも強かったため、「シドは弾けなかった」という事実が「セックス・ピストルズは全員弾けなかった」というイメージに変わっていったのです。
メンバーそれぞれの演奏力
| メンバー | 担当 | 実際の役割・評価 |
|---|---|---|
| ジョニー・ロットン | ボーカル | 美声ではないが、強烈な表現力を持つ |
| スティーヴ・ジョーンズ | ギター | 分厚いリズムギターと多重録音でサウンドを構築 |
| グレン・マトロック | ベース | 主要作曲者として楽曲の構成とメロディーを担当 |
| ポール・クック | ドラム | 安定した演奏でバンド全体を支えた |
| シド・ヴィシャス | ベース | 演奏力は低く、アルバムでもほとんど弾いていない |
セックス・ピストルズの評価で重要なのは、シドを含む有名な編成と、実際に代表曲を作った初期編成を分けることです。
「Anarchy in the U.K.」「God Save the Queen」「Pretty Vacant」などの基本部分は、グレン・マトロック在籍中に作られています。
唯一のオリジナルアルバムでも、シドではなくスティーヴ・ジョーンズがベースの大部分を演奏しました。
したがって、音源を聴いてセックス・ピストルズの演奏力を評価する場合、シドの技術だけを基準にすることはできません。
1970年代前半|楽器を持っていても演奏できなかった
セックス・ピストルズの母体となったのは、スティーヴ・ジョーンズとポール・クックが始めたバンドです。
2人はロンドンのハマースミス周辺で育った学校時代からの友人でした。
しかし、裕福な家庭の出身ではなく、楽器を購入する資金もありませんでした。
ポール・クックの証言によると、2人はコンサート会場へ入り込み、ステージ上の楽器や機材を持ち出したこともあったといいます。
デヴィッド・ボウイの「ジギー・スターダスト」時代の公演から機材を盗んだという有名な話もあります。
現在では到底許されない行為ですが、楽器やアンプを持っていても、それを扱う技術はありませんでした。
クック自身も、演奏できるようになる前から、PAを含む一通りの機材を持っていたと語っています。
つまり、バンドの出発点だけを見れば、「楽器を持っているが、まだ十分に弾けない若者たち」だったことは事実です。
ただし、彼らはその状態のままレコードを作ったわけではありません。
練習とライブを重ねるなかで、セックス・ピストルズに必要な演奏方法を身につけていきました。
1975年|最初のライブは大音量と騒動
セックス・ピストルズは1975年11月、ロンドンのセント・マーチンズ美術学校で初ライブを行いました。
会場とのつながりを作ったのは、同校に通っていたグレン・マトロックです。
対バンはバズーカ・ジョーで、セックス・ピストルズは彼らのアンプやドラムなどを借りて演奏しました。
当時の証言では、ピストルズは音楽的に特別優れていたわけではなく、とにかく音が大きかったとされています。
さらに、借りた機材を壊されると判断したバズーカ・ジョー側が途中で電源を切り、両バンドの間で口論や小競り合いが起きました。
その後のライブでも、観客から物を投げられ、演奏途中でステージを降りることがありました。
初期のセックス・ピストルズが、完成されたライブバンドではなかったことは確かです。
しかし、短期間のうちに状況は変わっていきます。
わずか数人しかいなかった会場が満員となり、レコード会社の関係者がライブを見に来るようになりました。
観客が引きつけられたのは騒動だけではありません。
バンドの音に、それまでのロックとは異なる勢いと力があったからです。
グレン・マトロックはバンドの「接着剤」だった
セックス・ピストルズの音楽面を語るうえで、最も過小評価されやすいのがグレン・マトロックです。
一般的には、シド・ヴィシャスの前に在籍していたベーシストとして知られています。
しかし、マトロックは単なる初代ベーシストではありません。
メンバーが持ち寄った荒々しいアイデアを、実際の楽曲へまとめる役割を果たしていました。
資料内では、マトロックがバンドの音楽をまとめる「接着剤」のような存在だったと評価されています。
マトロックはビートルズ、スモール・フェイセスなど、メロディーを重視する音楽を好んでいました。
そのため、パンクらしくない、ポップすぎる人物だと軽く扱われることもありました。
しかし、セックス・ピストルズの楽曲が現在まで聴き継がれている理由の1つは、反抗的な歌詞の裏側に覚えやすいメロディーがあったことです。
マトロックは「Pretty Vacant」をはじめ、代表曲の制作に大きく貢献しました。
「God Save the Queen」も、当初は「No Future」と呼ばれ、マトロック在籍中から演奏されています。
シドが加入した時点で、唯一のアルバムに収録される曲の約9割はすでに作られていたという証言もあります。
マトロック脱退後に新曲が作れなくなった
グレン・マトロックとジョニー・ロットンは、音楽的にも性格的にも対立していました。
表向きには、マトロックが「ビートルズのファンだったから追放された」と発表されます。
しかし実際には、ロットンやマルコム・マクラーレンとの対立、メンバー間の派閥、活動への疲労などが重なっていました。
マトロックの脱退後、セックス・ピストルズは新しいオリジナル曲をほとんど作れなくなります。
これは、マトロックが曲作りの中心だったことを示しています。
マトロックが残っていたとしても、ロットンとの音楽的な違いから、2枚目のアルバムを作ることは難しかったという見方もあります。
それでも、唯一のアルバムが完成したのは、マトロックのポップな作曲能力と、ロットンの反抗的な歌詞が一時的に共存していたからです。
スティーヴ・ジョーンズはリズムギターの中心だった
スティーヴ・ジョーンズは、複雑な速弾きや長いギターソロを得意とするギタリストではありません。
セックス・ピストルズの音楽で求められていたのは、ギター技術を見せつけることではなく、曲全体を押し進める強烈なリズムです。
ジョーンズは、コードを力強く鳴らし、同じギターパートを何層も重ねることで、分厚い音の壁を作りました。
一見すると単純なパワーコード中心の演奏ですが、リズムが不安定であれば、このような音は成立しません。
ギターの音が少しでもずれると、何層にも重ねた際に濁り、曲全体が崩れてしまいます。
唯一のアルバムで聴けるギターの厚みは、ジョーンズのリズム感と録音作業によって作られたものです。
資料でも、ジョーンズは非常に印象的なリズムギタリストだったと評価されています。
演奏の派手さではなく、曲を重く、速く、巨大に聞かせる能力を持っていました。
ジョーンズはアルバムのベースも演奏した
グレン・マトロックが脱退した後、ベースにはシド・ヴィシャスが加入しました。
しかし、シドはアルバムを安定して録音できるほどベースを弾けませんでした。
そのため、『Never Mind the Bollocks, Here’s the Sex Pistols』では、スティーヴ・ジョーンズがベースの大部分を担当しました。
ドラマーのポール・クックも、ジョーンズがほぼ全曲でベースを弾いたことを認めています。
つまり、ジョーンズはギターを何層も録音したうえ、ベースまで担当してアルバムの土台を作ったことになります。
アルバムの演奏が引き締まっているのは、ギターとベースを同じ人物が担当したことも関係しています。
両方の楽器のタイミングやリズムが一致し、クックのドラムと一体になったためです。
この事実だけを見ても、スティーヴ・ジョーンズを「まったく楽器が弾けない人物」と評価することはできません。
ポール・クックは安定したドラマーだった
ポール・クックは、セックス・ピストルズの中で最も目立たないメンバーかもしれません。
ジョニー・ロットンのような挑発的な発言も、シド・ヴィシャスのような破滅的なイメージもありません。
テレビのビル・グランディ事件でも、クックはほかのメンバーが司会者と罵り合うなか、緊張した様子で座っていました。
しかし、音楽面では、その安定性が非常に重要でした。
クックは派手なドラムソロを見せるタイプではありません。
曲のテンポを維持し、ジョーンズの分厚いギターを支える、力強いドラムを演奏しました。
セックス・ピストルズのような単純で勢いのある曲は、ドラムのわずかな揺れが目立ちやすい音楽です。
複雑なアレンジでミスを隠せないため、実際には正確なリズムが求められます。
アメリカツアーでシドのベースがほとんど聞こえない状態でもライブを成立させられたのは、クックとジョーンズの演奏が安定していたからです。
ジョニー・ロットンは歌が下手だったのか
ジョニー・ロットンは、一般的な意味で美しい声を持つボーカリストではありません。
声は鋭く、鼻にかかり、ときには音程も不安定に聞こえます。
しかし、セックス・ピストルズの歌詞を伝えるうえでは、非常に効果的な声でした。
ロットン以前のロックボーカリストの多くは、観客の愛情や注目を求めていました。
一方、ロットンは観客に気に入られようとしません。
相手をにらみ、言葉を吐き捨て、わざと不快にさせるように歌いました。
「Anarchy in the U.K.」の冒頭を聴けば、数秒で普通のロックボーカルではないことが分かります。
資料内でも、初めて同曲を聴いた人々が、これまでに聞いたことのない声と圧倒的な力に衝撃を受けたと証言しています。
ロットンの歌は、歌唱技術の優劣だけでは評価できません。
怒り、皮肉、不信感を一瞬で伝える表現力こそが最大の能力でした。
「Anarchy in the U.K.」は何度も録音を失敗した
セックス・ピストルズは、最初からスタジオで完璧に演奏できたわけではありません。
「Anarchy in the U.K.」の初期録音では、ライブの音響を担当していたデイヴ・グッドマンが制作に関わりました。
バンドはスタジオで曲を何度も演奏します。
しかし、刺激的な演奏を求めるあまり、演奏するたびに速度が上がり、曲本来の重さやリズムが失われていきました。
資料では、長時間にわたって何十回、証言によっては200回近く演奏したものの、満足できる結果にならなかったと語られています。
最終的に、この録音を拒否したのはレコード会社ではなく、バンド自身でした。
自分たちの音が正しく記録されていないと判断し、やり直すことを選んだのです。
この判断からも、メンバーが勢いだけで録音していたわけではなく、完成する音に明確な基準を持っていたことが分かります。
クリス・トーマスによってサウンドが完成
セックス・ピストルズは、プロデューサーのクリス・トーマスを迎えて改めて録音を行いました。
クリス・トーマスは、ロキシー・ミュージックなどの作品に関わった経験を持つプロデューサーです。
バンドが演奏を始めると、数回のテイクで必要な音を判断しました。
何十回も繰り返して勢いを失うのではなく、演奏が最も良い状態になった瞬間を記録したのです。
さらにジョーンズのギターを何層も重ね、荒々しさを残しながら、ラジオやレコードでも迫力が伝わるサウンドへ整えました。
『Never Mind the Bollocks』の音が、典型的なガレージバンドの録音よりも分厚く、完成されているのは、この制作方法によるものです。
セックス・ピストルズの音は自然に生まれた偶然ではありません。
バンドの演奏力と、クリス・トーマスの制作能力が組み合わさって作られた音でした。
『勝手にしやがれ!!』の演奏はなぜタイトなのか
1977年10月28日、唯一のオリジナルアルバム『Never Mind the Bollocks, Here’s the Sex Pistols』が発売されました。
日本では『勝手にしやがれ!!』の邦題で知られています。
主な収録曲は次のとおりです。
- 「Holidays in the Sun」
- 「Bodies」
- 「No Feelings」
- 「God Save the Queen」
- 「Problems」
- 「Anarchy in the U.K.」
- 「Pretty Vacant」
- 「E.M.I.」
アルバムの演奏が引き締まって聞こえる理由は、各メンバーの役割が明確だったからです。
マトロックが作った覚えやすい曲を、ジョーンズがギターとベースで分厚くし、クックが安定したドラムで支えます。
そこへロットンの独特な歌声が加わりました。
複雑な演奏や長いソロはありませんが、曲に必要な要素が無駄なく配置されています。
パンクのシンプルさは、何もできないから単純になったのではありません。
余計なものを削り、短い時間で最大の衝撃を与えるための方法でした。
シド・ヴィシャスは本当に弾けなかったのか
シド・ヴィシャスについては、演奏力が不足していたことを否定できません。
セックス・ピストルズ加入時点では、ベースを始めて間もない状態でした。
コードや曲の構成を十分に理解せず、ライブでは演奏がずれることもありました。
スティーヴ・ジョーンズは、シドの演奏を隠すため、ギターをさらに大きな音で鳴らしたと語られています。
アメリカツアーの映像でも、ベースがほとんど聞こえない公演があります。
シドはアルバムの「Bodies」で一部ベースを弾いたとされています。
しかし、ポール・クックによると、その音は完成版の中に埋もれ、ほとんど聞き取れません。
したがって、シドについては「演奏が下手だった」という評価が当てはまります。
ただし、それをほかのメンバーへ拡大することはできません。
なぜ演奏できないシドを加入させたのか
シドが選ばれた理由は、演奏力ではありません。
ジョニー・ロットンの友人であり、バンドの熱心なファンだったことに加え、その外見がパンクのイメージに合っていたからです。
細い体、逆立てた髪、革のジャケット、南京錠のネックレス、危険な態度は、セックス・ピストルズの印象をさらに強烈にしました。
マネージャーのマルコム・マクラーレンにとって、正確に演奏できるベーシストよりも、新聞や写真で目立つ人物の方が価値を持っていたと考えられます。
ロットンにとっても、シドはバンド内で自分の味方になってくれる存在でした。
こうして音楽的な能力より、イメージと人間関係が優先されました。
その結果、セックス・ピストルズはパンクの象徴となる人物を手に入れた一方、音楽を作れるベーシストを失いました。
シド加入後、バンドは音楽集団からイメージへ変わった
グレン・マトロック在籍時のセックス・ピストルズは、騒動を起こしながらも、実際に曲を作って演奏するロックバンドでした。
シド加入後は、音楽よりもメンバーの言動や外見が注目されるようになります。
シドはレコード制作にはほとんど貢献していません。
それでも、現在ではマトロックよりもシドの方が、セックス・ピストルズのベーシストとして広く知られています。
若いファンのなかには、シドが初代ベーシストだったと思っている人も少なくありません。
これは、音楽的な貢献以上に、シドの写真や生き方が強烈だったことを示しています。
一方で、シドのイメージによって、バンド全体が「楽器を弾けない集団」として語られるようになりました。
シドはセックス・ピストルズを視覚的な伝説にしましたが、同時に音楽的な評価を分かりにくくした人物でもあります。
1978年のアメリカツアーでは演奏できていたのか
1978年1月、セックス・ピストルズはアメリカツアーを行いました。
マルコム・マクラーレンは、パンクが理解されていたニューヨークなどを避け、保守的なアメリカ南部を中心に公演を組みました。
メンバーは敵対的な観客から罵声を浴びせられ、暴力の危険にさらされます。
シドはすでにヘロイン依存が深刻化し、精神的にも肉体的にも演奏できる状態ではありませんでした。
それでも、バンドはツアー最終日のサンフランシスコまで公演を続けました。
当時のライブ映像を見ると、ベースがほとんど聞こえないにもかかわらず、バンド全体の音は成立しています。
それを支えていたのが、スティーヴ・ジョーンズとポール・クックです。
ジョーンズのギターが低音部分まで埋め、クックのドラムが曲のテンポと勢いを維持しました。
ロットンもバンドが崩壊寸前であることを理解しながら、最後まで強烈なステージを見せています。
演奏環境や人間関係が最悪の状態でもライブを成立させたことは、少なくとも中核メンバーに実力があった証拠です。
ウィンターランド公演が示したバンドの実力
1978年1月14日、サンフランシスコのウィンターランドでアメリカツアー最終公演が行われました。
ライブ映像では、シドのベースがほとんど聞こえません。
それでもジョーンズとクックの演奏によって、セックス・ピストルズの曲として成立しています。
ロットンの歌唱も、きれいに整ったものではありません。しかし、バンドへの怒りや絶望がそのまま表れた、ほかでは再現できない演奏になっています。
最後の曲「No Fun」が終わると、ロットンは観客へ「騙された気分になったことはないか」と問いかけ、ステージを去りました。
翌日、ロットンが脱退し、バンドは事実上解散します。
音楽的に完璧なライブではありません。
しかし、崩壊するバンドの緊張感まで音楽として伝わる、非常に強烈な公演でした。
パンクは「下手でもよい」という音楽だったのか
パンクには「楽器が下手でもよい」という考え方があったと説明されることがあります。
より正確に表現するなら、「上手くなるまで人前で表現してはいけないというルールを否定した音楽」です。
1970年代のロックでは、高度な演奏技術や高価な機材、大手レコード会社との契約が重視されるようになっていました。
若者が気軽に参加できる音楽ではなくなりつつあったのです。
パンクは、完璧な技術を身につける前でも、自分の怒りや考えを表現してよいと示しました。
ただし、楽器が下手なままでいること自体を目的にしたわけではありません。
ラモーンズ、ザ・クラッシュ、ダムド、セックス・ピストルズなど、初期パンクの主要バンドには、それぞれの音楽を成立させる演奏力がありました。
技術を見せるための演奏と、曲を伝えるための演奏は別物です。
セックス・ピストルズは、後者を選んだバンドでした。
「簡単な曲」と「下手な演奏」は違う
セックス・ピストルズの楽曲は、比較的少ないコードで作られています。
曲も短く、複雑な変拍子や長いギターソロはほとんどありません。
しかし、曲が簡単であることと、演奏が下手であることは同じではありません。
単純な曲ほど、リズムのずれや音の弱さが目立ちます。
セックス・ピストルズの音源は、クックのドラム、ジョーンズのギターとベースが正確に重なることで、巨大な音の塊になっています。
さらに、マトロックによるメロディーとロットンの言葉があるため、曲を一度聴けば印象に残ります。
単純な構成で強い印象を残すことは、複雑な演奏とは異なる種類の技術です。
セックス・ピストルズの演奏が過小評価された理由
セックス・ピストルズが演奏できないバンドと思われるようになった理由は、主に次の5つです。
1.シド・ヴィシャスのイメージが強すぎた
シドは実際にベースを十分に弾けませんでした。
さらに外見や生き方があまりにも有名になり、シドの特徴がバンド全体の特徴として語られるようになりました。
2.「パンクは下手な音楽」という先入観
パンクが複雑な演奏を否定したことで、「技術そのものを持っていない音楽」と誤解されました。
しかし、単純な曲を力強く演奏するためにも、リズム感やバンドとしての一体感が必要です。
3.スキャンダルばかり報道された
テレビでの放送禁止用語、レコード会社との契約解除、暴力事件、逮捕、薬物問題など、音楽以外の出来事が大きく報道されました。
そのため、演奏や作曲について冷静に評価される機会が少なくなりました。
4.マクラーレンが「作られたバンド」という物語を広めた
マルコム・マクラーレンは、自分がバンドを作り、メンバーを操ったという物語を広めました。
このイメージによって、メンバー自身の作曲能力や演奏力が過小評価されました。
5.活動期間と作品数が少なかった
本格的な活動期間は約2年半で、オリジナルアルバムも1枚だけです。
長い活動のなかで演奏技術を証明する機会がなく、破滅的なイメージだけが強く残りました。
メンバー別の結論
ジョニー・ロットン
一般的な美声や正確な歌唱を持つボーカリストではありません。
しかし、言葉の意味を伝える表現力、独特の発音、観客を圧倒する存在感を持っていました。
セックス・ピストルズの音楽には、ほかの歌手では代替できないボーカルです。
スティーヴ・ジョーンズ
複雑なギターソロを演奏する技巧派ではありません。
一方、力強いリズムギター、多重録音、ベース演奏によって、アルバムのサウンドを構築しました。
セックス・ピストルズの音楽面における中心人物の1人です。
ポール・クック
派手さはありませんが、安定したリズムで曲を支えました。
ベースが機能していないライブでも、ジョーンズとともに演奏を成立させています。
「堅実なロックドラマー」と評価するのが適切です。
グレン・マトロック
ベースだけでなく、作曲とアレンジで大きな役割を果たしました。
セックス・ピストルズの荒々しさを、覚えやすい楽曲へ変えた人物です。
バンドの音楽的な完成度を考えるうえで、最も過小評価されているメンバーでしょう。
シド・ヴィシャス
ベーシストとしての演奏力は不足していました。
アルバムへの参加も限られ、ライブでも音を消されることがありました。
ただし、パンクのイメージを完成させた存在感は非常に大きく、音楽以外の面でバンドの伝説化に貢献しました。
まとめ|下手だったのはシドであり、バンド全体ではない
セックス・ピストルズは、プログレッシブロックやハードロックのような高度な技巧を見せるバンドではありませんでした。
初期には楽器を十分に扱えず、最初のライブでは大音量と騒動ばかりが注目されたことも事実です。
しかし、ライブと練習を重ねるなかで、メンバーは自分たちの音楽に必要な技術を身につけました。
グレン・マトロックは、荒々しいアイデアを覚えやすい曲へまとめました。
スティーヴ・ジョーンズは、分厚いリズムギターとベースによって唯一のアルバムのサウンドを作りました。
ポール・クックは安定したドラムで、ライブとレコーディングを支えました。
ジョニー・ロットンは、美しい歌声ではなく、怒りや不信感を一瞬で伝える表現力を持っていました。
一方、シド・ヴィシャスの演奏力が不足していたことは否定できません。
しかし、シドが弾けなかったという事実を理由に、セックス・ピストルズ全体を「演奏できないバンド」と評価するのは誤りです。
『Never Mind the Bollocks』の演奏が力強く、現在まで聴き継がれていることが、その証拠です。
セックス・ピストルズが否定したのは、演奏技術そのものではありません。
高度な技術がなければ人前で表現してはいけないという、ロック界の固定観念でした。
複雑に演奏する代わりに、必要のないものを削り、短い曲、強いリズム、覚えやすいメロディー、直接的な言葉で最大の衝撃を与える――。
それが、セックス・ピストルズの演奏とパンクロックの本質だったのです。
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