「ディープ・パープルは、かつて世界一うるさいバンドとしてギネスブックに載った」
ロック史を扱う記事では、よく目にする逸話です。1972年、ロンドンのレインボー・シアターで行われた公演の音量が117デシベルに達し、客席にいた3人が意識を失った――という衝撃的な話もセットで語られます。
では、ディープ・パープルは本当に世界で最も大きな音を出したバンドだったのでしょうか。
先に結論を述べると、1970年代当時、ギネスブックから「世界で最も音の大きなバンド」と認定されたことは事実です。ただし、117デシベルという数字だけで「歴史上、客観的に最もうるさかった」と断定することはできません。
音量は、スピーカーからの距離、測定場所、会場の構造、測定器の設定、瞬間的な最大値か一定時間の平均値かによって変わります。しかもディープ・パープルの記録には、現在なら欠かせない測定条件がほとんど残されていません。
つまり、「当時のギネス上は世界一だった。しかし、科学的に史上最高と証明されたわけではない」というのが、最も正確な答えです。
伝説が生まれた1972年のレインボー・シアター
記録の舞台となったのは、1972年6月30日と7月1日にロンドンのレインボー・シアターで行われた公演です。
この頃のディープ・パープルは、リッチー・ブラックモア、イアン・ギラン、ジョン・ロード、ロジャー・グローヴァー、イアン・ペイスによる第2期の黄金編成でした。
同年3月にはアルバム『Machine Head』を発表。「Highway Star」「Smoke on the Water」「Space Truckin’」など、後に代表曲となる楽曲を次々と生み出し、世界的なハードロックバンドへ駆け上がっていた時期です。
レインボー・シアターは映画館を改装した屋内会場で、改修を終えて再開したばかりでした。ディープ・パープルは直前まで米国のアリーナを回っており、そこで使用していた大規模な音響設備を、そのまま劇場へ持ち込んだと伝えられています。
その設備が、出力1万ワットのマーシャル製PAシステムでした。
現在の巨大フェスティバルでは、数十万ワット規模のPAも珍しくありません。しかし、1972年当時に1万ワットのシステムを屋内の劇場で鳴らすことは異例でした。
測定された音圧レベルは117dBA。ギネス世界記録の公式サイトも、ディープ・パープルが1972年のレインボー・シアター公演で117dBAに達したと紹介しています。
これにより、バンドはギネスブックで「世界で最も音の大きなポップ・グループ」として扱われるようになりました。
117デシベルは、どれほど大きな音なのか
デシベルは、単純に数字を足し引きして考えられる単位ではありません。音の強さを対数で表すため、10デシベル上がると音のエネルギーは10倍になります。人間の感覚では、一般に約10デシベルの上昇で「およそ2倍の大きさ」に感じるとされます。
米国立聴覚・コミュニケーション障害研究所によると、通常の会話は60~70dBA、コンサートやスポーツイベントは94~110dBA程度です。85dBA以上の音へ長時間または繰り返しさらされると、騒音性難聴を起こす可能性があります。
117dBAが公演中の平均値だったとすれば、通常のロックコンサートの範囲を明らかに超えます。身体で低音の圧力を感じ、耳に痛みを覚えても不思議ではない音量です。
ただし、ここには重要な注意点があります。
世界保健機関(WHO)が現在、音楽会場やイベントに推奨している上限は、15分間の平均で100dBです。一方、ディープ・パープルの117dBAが、瞬間的な最大値だったのか、一定時間の平均だったのかは明らかではありません。
したがって、現代の安全基準と数字だけを並べて、正確な危険度を計算することはできません。それでも、聴覚へ大きな負担を与える水準だったことは間違いないでしょう。
「観客3人が失神した」は本当なのか
この公演について最も有名なのが、「スピーカーの近くにいた観客3人が意識を失った」という逸話です。
これは後世の創作ではありません。ギネス世界記録の公式サイトにも、117dBAの音によって観客3人が意識を失ったという説明が掲載されています。
ただし、3人の氏名、座っていた位置、医師の診断、意識を失った直接の原因などを確認できる詳しい記録は見つかりません。
大音量は聴覚障害や耳鳴りを起こし、極端な音圧は身体へ強いストレスを与えます。しかし、失神には暑さ、脱水、混雑、飲酒、体調など、さまざまな原因が考えられます。
そのため、「3人が意識を失ったという報告はギネス記録にも含まれている。ただし、大音量だけが直接の原因だったと医学的に立証されているわけではない」と考えるのが妥当です。
伝説としては有名でも、細部まで確認できる事故報告ではないのです。
なぜディープ・パープルは、それほど大きな音を必要としたのか
ディープ・パープルの大音量は、単なる話題作りではありませんでした。
バンドの音楽は、リッチー・ブラックモアのギターとジョン・ロードのハモンドオルガンが、互いに前へ出ようと競り合うことで成り立っています。ロードは本来なら繊細な音色を持つハモンドオルガンをマーシャルアンプにつなぎ、ギターに負けないほど歪ませました。
そこへイアン・ペイスの強烈なドラム、ロジャー・グローヴァーのベース、イアン・ギランの高音シャウトが重なります。
5人のうち誰か1人だけが大きいのではなく、全員が相手に押し返されまいとして音を出す。その緊張関係が、ディープ・パープル特有の攻撃的なライブサウンドを生みました。
特にリッチーは、大音量を音楽表現の一部として考えていました。添付されたインタビューのスクリプトでは、自分が使用していたマーシャルアンプを「これまで作られた中で最もうるさいアンプ」と表現し、ステージではそれを歌手の方向へ向けていたと冗談交じりに話しています。
また、マーシャルのブレッチリー工場でアンプを試した際には、あまりに大きな音でギターを弾くため、組み立てラインの従業員が仕事を中断して外へ出てしまったとも回想しています。ジム・マーシャルは、離れた事務所にいても音を聞いただけでリッチーが来たと分かったそうです。
多少の誇張が含まれている可能性はありますが、リッチーにとって「音量」が機材の性能であると同時に、自分の存在を押し出す武器だったことが分かります。
「1万ワットだから世界一」とは限らない
ここで混同しやすいのが、ワットとデシベルの違いです。
ワットは、アンプやPAが扱う電力の大きさを示します。一方、デシベルは、ある場所で実際に測定された音圧レベルです。
出力の大きなアンプを使えば、必ず同じ割合で音が大きくなるわけではありません。スピーカーの能率や数、向き、観客までの距離、天井や壁の反射、屋内か屋外かによって、聞こえる音量は大きく変わります。
レインボー・シアターでは、アリーナ向けのPAを比較的小さな屋内空間で鳴らしました。音が壁や天井で反射し、直接音へ重なります。これが117dBAという記録に影響した可能性があります。
つまり、1万ワットという数字だけが記録を作ったのではありません。「大規模なシステムを、反響のある劇場へ持ち込んだ」という組み合わせが重要だったのです。
ザ・フーに記録を抜かれた
ディープ・パープルの「世界一」は、永遠には続きませんでした。
1976年5月31日、ザ・フーがロンドンのチャールトン・アスレティック・フットボール・グラウンドで行った野外公演が、新たな記録として認定されます。
この公演については、スピーカーから32メートル離れた地点で126デシベルを記録したという説明が広く知られています。一方、現在のギネス世界記録公式サイトは、50メートル地点で120dBAだったと記載しています。
同じ公演について数字と測定距離が異なる資料が残っていること自体、「世界一うるさいバンド」という比較の難しさを示しています。
その後も、マノウォー、モーターヘッド、レフトフィールド、マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン、Sunn O)))など、ディープ・パープルを上回る数値を出したとされるアーティストが現れました。
現在のギネス公式サイトは、2008年のマノウォーのサウンドチェックを139dBAと紹介しています。演奏本番ではなくサウンドチェックであり、ディープ・パープルとは条件が違いますが、少なくとも117dBAが歴史上の最高値ではないことは明らかです。
なぜ「世界一」を科学的に決められないのか
大音量記録を公平に比較するには、少なくとも次の条件をそろえる必要があります。
- スピーカーから測定器までの距離
- 客席のどの位置で測ったか
- 屋内か屋外か
- dBA、dBCなど、どの周波数補正を使ったか
- 瞬間的なピークか、一定時間の平均か
- 測定器の反応速度
- 公演本番か、無人のサウンドチェックか
ディープ・パープルの記録から分かるのは、レインボー・シアターで117dBAに達したということです。しかし、測定距離や平均時間などは確認できません。
ザ・フーの記録には距離が伝えられていますが、資料によって数字が異なります。後年のバンドには、演奏中ではなくサウンドチェックで測定された記録もあります。
これらを陸上競技のタイムのように、同じ条件で並べることはできません。
ギネスは、競争が過熱して観客や演奏者の聴覚を傷つけることを避けるため、やがて「世界一うるさいバンド」を競う記録を扱わなくなりました。音の大きさを競技にすれば、記録を更新するために危険な音量を出すバンドが現れるからです。
大音量は、ディープ・パープルの音楽そのものだった
では、測定条件が不明なら、ディープ・パープルの記録に意味はないのでしょうか。
そうではありません。
117dBAが厳密な世界最高記録だったかどうか以上に重要なのは、当時の観客と音楽業界が、ディープ・パープルの演奏を「それまでとは次元の違う大音量」と受け止めたことです。
1970年代初頭、ロックはダンスホールや劇場からアリーナへ進出しようとしていました。アンプとPAは急速に大型化し、バンドは数千、数万人の観客へ音を届ける方法を模索していました。
その変化の先頭にいたのがディープ・パープルです。
ただ音量を上げただけでは、音楽は輪郭を失います。しかしディープ・パープルは、巨大な音の中でもリッチーのリフ、ロードのオルガン、ペイスのドラム、グローヴァーのベース、ギランの声をぶつけ合い、緊張感のある演奏を成立させました。
彼らにとって大音量は、曲の不足を隠すための煙幕ではありません。ギターとオルガンの対決、リズム隊の推進力、ボーカルの絶叫を、観客が身体で感じるほど拡大するための表現手段でした。
結論――「当時の世界一」は本当だった
ディープ・パープルは本当に世界一うるさいバンドだったのか。
答えを整理すると、次のようになります。
1972年のレインボー・シアター公演で117dBAが測定され、ギネスブックから世界で最も音の大きなバンドとして認定されたことは事実です。その意味では、「ディープ・パープルは世界一うるさいバンドだった」という逸話は正しいといえます。
しかし、測定条件が十分に残されておらず、後年の記録とも条件がそろっていません。さらに、ザ・フーをはじめとする複数のバンドが、より高い数値を記録したとされています。
したがって、ディープ・パープルが「歴史上、客観的に最もうるさかった」とまでは言えません。
それでも、この称号が今も彼らの名前とともに語られるのは、117という数字だけが理由ではないでしょう。
レインボー・シアターを満たした大音量は、リッチー・ブラックモアの攻撃的なギター、ジョン・ロードの歪んだオルガン、そして5人が互いに一歩も引かない演奏から生まれました。
ギネス記録は更新されました。しかし、ロックの音を「耳で聴くもの」から「全身で浴びるもの」へ変えたバンドの1つとして、ディープ・パープルの歴史的な存在感は今も変わっていません。
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