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KISSの歴史を時系列で解説|結成、世界的成功、メンバー交代、再結成、最後のツアーまで

白塗りのメイク、巨大な厚底ブーツ、火吹き、血吐き、爆発するステージ――。

KISSは、音楽だけでなく、衣装、演出、キャラクター、グッズまで含めて「ロックバンドそのものをエンターテインメントにした存在」です。

1973年の結成から半世紀にわたり活動し、「Rock and Roll All Nite」「Detroit Rock City」「Beth」「I Was Made for Lovin’ You」など数多くの代表曲を残しました。

一方、その歴史は決して順風満帆ではありません。オリジナルメンバーの対立、音楽性の迷走、度重なるメンバー交代、メイクを外した時代、そして奇跡的な再結成など、何度も危機を乗り越えてきました。

本記事では、KISSの歩みを結成前から最後のワールドツアーまで、時系列に沿って分かりやすく紹介します。

目次

KISSとはどのようなバンドなのか

KISSは、1973年にニューヨークで結成されたアメリカのロックバンドです。

音楽的には、ハードロックを基調としながら、ポップ、グラムロック、ヘヴィメタル、ディスコ、さらにはコンセプトアルバムまで、時代に合わせて幅広いスタイルを取り入れてきました。

オリジナルメンバーは、次の4人です。

メンバー担当キャラクター
ポール・スタンレーボーカル、リズムギタースターチャイルド
ジーン・シモンズボーカル、ベースデーモン
エース・フレーリーリードギター、ボーカルスペースマン
ピーター・クリスドラム、ボーカルキャットマン

ロックの殿堂は、KISSについて「ニューヨーク・ドールズのグラム的な雰囲気、アリス・クーパーの劇場性、ビートルズのメロディーとポップ感覚を組み合わせた」と評価しています。Rock & Roll Hall of Fame

KISSの特徴は、単に演奏が派手だったことではありません。メンバーそれぞれをコミックの登場人物のようにキャラクター化し、観客が一目で認識できる「KISSという世界」を作り上げたことにあります。

KISSの歴史を簡単に整理

年代主な出来事
1970~1972年ジーン・シモンズとポール・スタンレーがウィキッド・レスターで活動
1973年エース・フレーリーとピーター・クリスを加えてKISSを結成
1974年デビューアルバム『KISS』を発売
1975年ライブアルバム『Alive!』で大ブレイク
1976~1977年『Destroyer』『Love Gun』などを発表し、世界的バンドへ
1978~1982年ソロ作品、路線変更、メンバー間の対立が表面化
1980年ピーター・クリスが脱退
1982年エース・フレーリーが離脱
1983年メイクを外し、素顔で再出発
1991年エリック・カーが死去、エリック・シンガーが加入
1996年オリジナルメンバー4人が再結成
2000年代トミー・セイヤー、エリック・シンガーを含む体制が定着
2014年ロックの殿堂入り
2019~2023年最終ツアー「End of the Road」を開催
2023年マディソン・スクエア・ガーデンで最後のツアー公演

1940~1960年代|個性の異なる4人の少年時代

KISSの中心人物となるジーン・シモンズは、1949年8月25日にイスラエルで生まれました。

出生時の名前はハイム・ヴィッツです。家庭は裕福ではなく、8歳のときに母親とともにアメリカへ移住しました。その後、ニューヨークで新聞配達や肉屋などの仕事をしながら学校へ通います。

少年時代にビートルズを知ったことが、音楽を始める大きなきっかけになりました。大学では教育課程を学び、一時期は小学校教師として働いた経験もあります。

ポール・スタンレーは、1952年1月20日にニューヨークのクイーンズで生まれました。

生まれつき右耳の形成に障害があり、右耳の聴力がほとんどない状態でした。それでも両親の影響でクラシックやオペラに親しみ、リトル・リチャード、エディ・コクラン、ビートルズ、ローリング・ストーンズなどに夢中になります。

スタンレーは美術の才能にも恵まれ、ニューヨーク市の音楽芸術高校に進学しました。後にKISSの視覚的な方向性を作るうえで、この美術的な感覚が重要な役割を果たします。

ピーター・クリスは、1945年12月20日にニューヨークのブルックリンで生まれました。

ジャズやR&Bの影響を受けたドラマーで、KISS加入前にはチェルシーやリップスといったバンドで活動していました。荒々しいロックドラマーでありながら、ハスキーな歌声を持っていたことも大きな特徴です。

エース・フレーリーは、1951年4月27日にニューヨークのブロンクスで生まれました。

音楽一家で育ち、13歳ごろからエレキギターを弾き始めます。ジミ・ヘンドリックス、ジェフ・ベック、ザ・フー、クリームなどの影響を受け、専門教育を受けずに独学で独特のギタースタイルを身につけました。

このように、4人は同じニューヨーク出身でありながら、育った環境も音楽的背景も大きく異なっていました。その違いが、後にKISS独特の化学反応を生み出します。

1970~1972年|前身バンド、ウィキッド・レスター

1970年ごろ、ジーン・シモンズはレインボーというバンドを結成し、そこへポール・スタンレーが加入しました。

しかし、すでに同名のバンドが存在していたため、バンド名をウィキッド・レスターに変更します。

ウィキッド・レスターは、ロックだけでなくフォークやポップなども取り入れたグループでした。エピック・レコードの支援を受けてアルバムを録音したものの、正式発売には至りませんでした。

シモンズとスタンレーは、この失敗の原因を「方向性と強烈な個性の不足」にあると考えます。

そこで2人は、単に良い曲を演奏するだけではなく、見た瞬間に忘れられないバンドを作ろうと決意しました。これがKISS誕生の出発点です。

1972~1973年|ピーター・クリスとエース・フレーリーの加入

シモンズとスタンレーは、新しいバンドを作るためにメンバー探しを始めました。

最初に加わったのが、雑誌『ローリング・ストーン』にメンバー募集広告を出していたピーター・クリスです。「ドラマー、何でもやります」という趣旨の広告を見たシモンズが連絡し、歌えるドラマーとしてクリスを迎え入れました。

続いて、3人はリードギタリストを募集します。

1973年1月、新聞『ヴィレッジ・ヴォイス』の広告を見てオーディションに現れたのがエース・フレーリーでした。

フレーリーは左右で色の違う靴を履き、ほかの候補者が演奏している最中にも勝手にギターを準備するなど、かなり風変わりな人物だったといわれています。しかし、演奏を始めると、その独特な音色と感覚的なギタープレイで3人を圧倒しました。

こうして、ポール・スタンレー、ジーン・シモンズ、エース・フレーリー、ピーター・クリスというオリジナルメンバーがそろいます。

1973年|KISSの誕生とメイクの確立

バンド名の「KISS」は、ピーター・クリスが以前所属していた「Lips」というバンドの話をしていたとき、ポール・スタンレーが思いついたとされています。

ロゴの原型を描いたのはエース・フレーリーです。最後の2文字「SS」を稲妻のようにデザインし、現在まで続く有名なロゴが誕生しました。

ただし、このデザインはナチス親衛隊の記章に似ているため、ドイツなど一部の国では異なる形のロゴが使用されています。スタンレーとシモンズはいずれもユダヤ系であり、ナチスを意図したデザインではないと説明しています。

KISSとしての初公演は、1973年1月30日にニューヨーク・クイーンズのポップコーン・クラブで行われました。観客はごくわずかだったといわれています。

当初のメイクは、現在のように完成されたものではなく、比較的単純な白塗りでした。その後、それぞれの性格を反映する形でデザインが固まっていきます。

ポールは星を描いたスターチャイルド、ジーンは悪魔を思わせるデーモン、エースは宇宙人のスペースマン、ピーターは猫のキャットマンとなりました。

KISSは、全員が同じ衣装を着るバンドではありません。それぞれが異なるヒーローとして存在し、4人が集まることで1つの世界が完成するという発想でした。

1973~1974年|カサブランカ・レコードとの契約

KISSはプロデューサーのエディ・クレイマーとデモ音源を制作します。

やがて、その奇抜なライブを見たテレビプロデューサーのビル・オーコインがバンドに注目しました。オーコインはマネージャーとなり、設立されたばかりのカサブランカ・レコードとの契約を実現させます。

カサブランカを率いていたニール・ボガートは、KISSを音楽だけでなく、キャラクターや商品展開まで含めて売り出せる存在だと考えました。

1974年2月、デビューアルバム『KISS』が発売されます。日本では『地獄からの使者』という邦題で知られています。

「Strutter」「Deuce」「Cold Gin」「Firehouse」「Black Diamond」など、後にライブの定番となる楽曲が収録されていました。

しかし、発売当初の売れ行きは振るいませんでした。

KISSは車で長距離を移動し、後部座席で眠りながらツアーを続けました。派手なステージとは対照的に、メンバーの生活は質素で、豆やフランクフルトを食べてしのいでいたといわれています。

同年10月には2作目『Hotter Than Hell(地獄のさけび)』を発売します。音楽はより重くなりましたが、こちらも大ヒットには至りませんでした。

火吹き、血吐き、爆発――KISSのライブが話題に

レコードが思うように売れない一方、KISSのライブは各地で評判になっていきました。

ジーン・シモンズは火を吹き、口から血を流しながら空中へ上昇します。エース・フレーリーのギターからは煙や火花が噴き出し、ピーター・クリスのドラム台は宙に浮きました。ポール・スタンレーは観客をあおり、会場全体を巨大なパーティーに変えていきます。

火吹きは非常に危険な演出で、シモンズ自身の髪に火が燃え移る事故も何度か起きています。

KISSにとってライブは、スタジオ作品の再現ではありません。音、照明、衣装、炎、爆発、メンバーの動きを一体化させた総合ショーでした。

1975年|『Alive!』でついに大ブレイク

1975年3月、3作目『Dressed to Kill(地獄への接吻)』が発売されます。

このアルバムには、KISSを象徴する曲「Rock and Roll All Nite」が収録されていました。しかし、スタジオ版のシングルは大ヒットには届きませんでした。

当時のKISSは、レコードでは魅力が十分に伝わらない一方、ライブでは観客を熱狂させていました。そこで、経営難に陥っていたカサブランカ・レコードは、バンドの本当の魅力を記録するライブアルバムに賭けます。

1975年9月に発売されたのが『Alive!』です。日本では『地獄の狂獣 キッス・ライヴ』という邦題で知られています。

『Alive!』は全米トップ10に入り、ライブ版「Rock and Roll All Nite」も全米12位を記録しました。スタジオアルバムでは伝わりにくかったKISSの熱量が、ライブ盤によって初めて広い層に伝わったのです。

KISSだけでなく、倒産寸前だったカサブランカ・レコードにとっても、この成功は大きな転機となりました。『Alive!』は、KISSをクラブバンドからアリーナ級のスターへ押し上げた作品です。AllMusic

1976年|『Destroyer』で音楽的にも飛躍

『Alive!』の成功によって十分な制作費を得たKISSは、アリス・クーパーとの仕事で知られるボブ・エズリンをプロデューサーに迎えます。

1976年3月に発売された『Destroyer(地獄の軍団)』では、それまでの荒々しいロックから一歩進み、多重録音、効果音、ピアノ、オーケストラなどを大胆に導入しました。

代表曲は次のとおりです。

  • 「Detroit Rock City」
  • 「Shout It Out Loud」
  • 「God of Thunder」
  • 「Beth」
  • 「Do You Love Me」

特にピーター・クリスが歌ったバラード「Beth」は、KISSのイメージとは大きく異なる曲でしたが、全米7位のヒットとなりました。

同年11月には『Rock and Roll Over(地獄のロック・ファイアー)』を発表。「Hard Luck Woman」「Calling Dr. Love」などが生まれ、KISSは人気を確実なものにします。

1977年|初来日と“KISS現象”の頂点

1977年、KISSは初来日を果たしました。

日本でもKISSは大きな注目を集め、武道館公演を含むツアーを成功させます。空港でメイクをしたまま入国しようとして、パスポート写真との違いから止められたという逸話も残っています。

同年6月には『Love Gun』を発売しました。

タイトル曲「Love Gun」のほか、「Christine Sixteen」、エース・フレーリーが初めてリードボーカルを担当した「Shock Me」などを収録し、全米4位を記録しました。

「Shock Me」は、前年にフレーリーがステージ上で感電した事故を題材にした曲です。手すりに触れた際に強い電流を受け、一時は演奏不能になりながらも、回復後に公演を最後まで続けたと伝えられています。

10月には『Alive II』を発売。KISSはアメリカを代表するロックバンドとなり、音楽だけでなく、フィギュア、ボードゲーム、トレーディングカード、弁当箱、マスクなど膨大なグッズを展開しました。

Marvelから発売されたKISSのコミックには、メンバー4人から採取した血液を印刷用インクに混ぜたという有名な宣伝企画もありました。

この時期のKISSは、ロックバンドというより、子どもたちが憧れるスーパーヒーローチームに近い存在になっていたのです。

1978年|成功の裏で進んだ4人の分裂

人気が頂点に達する一方、過密スケジュールや収入、発言権をめぐる不満から、メンバー間の関係は悪化していました。

特にポール・スタンレーとジーン・シモンズがバンドの運営を主導するようになり、エース・フレーリーとピーター・クリスは疎外感を強めていきます。

対立を解消するため、1978年9月、4人はそれぞれの名義によるソロアルバムを同じ日に発売しました。

名目上はKISSの一大企画でしたが、同時に4人が別々の音楽的方向を向いていることを明らかにする結果となります。

最も商業的に成功したのはエース・フレーリーの作品でした。ラス・バラードの曲をカバーした「New York Groove」が全米13位前後のヒットとなり、フレーリーの人気と作曲能力が再評価されます。

同年にはテレビ映画『KISS Meets the Phantom of the Park』も制作されました。しかし、完成度の低さからメンバー自身も不満を持ち、バンドとマネージャーのビル・オーコインとの関係を悪化させる一因となりました。

1979年|ディスコへの接近とピーター・クリスの離脱

1979年5月、『Dynasty(地獄からの脱出)』が発売されます。

代表曲「I Was Made for Lovin’ You」は、当時全盛だったディスコの要素を大胆に取り入れた曲です。従来のハードロックファンからは反発もありましたが、世界各国で大ヒットし、現在でもKISSを代表する楽曲の1つとなっています。

ただし、アルバム制作時には、ピーター・クリスがアルコールや薬物の問題を抱え、安定して演奏できない状態になっていました。

多くの曲で、エース・フレーリーのソロアルバムにも参加したスタジオドラマー、アントン・フィグがドラムを担当します。

1980年の『Unmasked(仮面の正体)』でもクリスは演奏に参加せず、アルバム発売後に脱退が正式発表されました。

ここで、オリジナルメンバー4人による最初の時代が終わります。

1980~1982年|エリック・カー加入と深刻な迷走

ピーター・クリスの後任には、オーディションを勝ち抜いたポール・チャールズ・カラヴェロが選ばれました。

彼はエリック・カーと改名し、キツネをモチーフとした「フォックス」のメイクで活動します。力強いドラミングと歌唱力を持つカーは、次第にファンから受け入れられていきました。

しかし、バンドの音楽的な迷走は続きます。

1981年には、映画用に考えられていた物語を発展させたコンセプトアルバム『Music from “The Elder”(魔界大決戦)』を発表しました。

オーケストラや物語性を取り入れた異色作でしたが、ファンが求めていた分かりやすいハードロックとは大きく異なり、商業的には失敗します。

この方向性に強く反発したのがエース・フレーリーでした。フレーリーはバンド内で自分の意見が通らなくなったと感じ、アルバム制作や活動から距離を置くようになります。

1982年の『Creatures of the Night(暗黒の神話)』では重厚なハードロック路線へ戻りましたが、フレーリーはジャケットや宣伝には登場したものの、レコーディングにはほとんど参加していません。

やがてフレーリーもKISSを離れます。

1982~1984年|ヴィニー・ヴィンセント加入と素顔のKISS

フレーリーに代わるギタリストとして、ヴィニー・ヴィンセントが加わりました。

ヴィンセントは優れた作曲能力とテクニックを持ち、『Creatures of the Night』や1983年の『Lick It Up(地獄の回想)』に大きく貢献します。

そして1983年、KISSは大きな決断を下しました。

約10年間守り続けてきたメイクを外し、MTVで初めて素顔を公開したのです。

素顔を見せること自体が大きな宣伝となり、『Lick It Up』はヒット。KISSは、メイク時代を知らない新しい世代のファンを獲得しました。

ところが、ヴィンセントとスタンレー、シモンズの関係は悪化します。報酬や役割をめぐる対立に加え、ライブで決められた時間を超えてギターソロを続けるなど、主導権をめぐる衝突が相次ぎました。

ヴィンセントは1984年に離脱します。

1984~1991年|ブルース・キューリック時代

1984年の『Animalize』にはマーク・セント・ジョンが参加しました。

しかし、セント・ジョンは関節の病気を発症し、ツアーへの参加が困難になります。代役を務めたブルース・キューリックが、そのまま正式メンバーとなりました。

ポール・スタンレー、ジーン・シモンズ、エリック・カー、ブルース・キューリックという体制は、オリジナル編成以来の安定したラインナップとなります。

この時期の主な作品には、次のようなアルバムがあります。

  • 『Asylum』(1985年)
  • 『Crazy Nights』(1987年)
  • 『Hot in the Shade』(1989年)

1980年代後半は、ボン・ジョヴィ、モトリー・クルー、ポイズンなどの華やかなハードロックが人気を集めた時代です。

KISSは、かつて自分たちが影響を与えた若いバンドと競争する立場になりました。ポール・スタンレーが制作の中心となり、シンセサイザーや洗練されたポップメタルの要素も取り入れていきます。

1989年の「Forever」は全米トップ10に入るヒットとなり、KISSにとって「Beth」以来の大きなバラードヒットになりました。

1991年|エリック・カーの死

1991年、エリック・カーに心臓の悪性腫瘍が見つかりました。

一時的に回復し、「God Gave Rock ‘n’ Roll to You II」のバックコーラスやミュージックビデオ撮影に参加します。しかし病状は再び悪化し、1991年11月24日に41歳で亡くなりました。

奇しくも同じ日は、クイーンのフレディ・マーキュリーが亡くなった日でもあります。

約11年間KISSを支えたカーの死は、メンバーとファンに大きな衝撃を与えました。

後任ドラマーには、ブラック・サバスやアリス・クーパーとの活動経験を持つエリック・シンガーが加入します。

1992~1995年|『Revenge』と再評価

1992年、KISSは『Revenge』を発売しました。

1980年代の華やかなポップメタル路線から離れ、重く攻撃的なサウンドへ戻った作品です。「Unholy」「Domino」「I Just Wanna」などが収録され、音楽面でも高く評価されました。

1993年にはライブアルバム『Alive III』を発表します。

さらに1995年、MTVの企画『Unplugged』に出演。このステージに元メンバーのエース・フレーリーとピーター・クリスがゲストとして登場しました。

現メンバーと元メンバーが同じステージで演奏する姿は大きな反響を呼び、オリジナルメンバー再結成への期待が急速に高まります。

1996年|オリジナルメンバーが奇跡の再結成

1996年4月、ニューヨークの空母イントレピッド上で記者会見が開かれました。

ポール・スタンレー、ジーン・シモンズ、エース・フレーリー、ピーター・クリスの4人が、全盛期のメイクと衣装で登場し、再結成ツアーを正式発表します。

ブルース・キューリックとエリック・シンガーはバンドを離れ、オリジナルKISSが復活しました。

「Alive/Worldwide Tour」は世界的な成功を収めます。1970年代のKISSをリアルタイムで知るファンだけでなく、伝説として知っていた若い世代も会場へ集まりました。

1998年には、再結成後初のスタジオアルバム『Psycho Circus』を発売します。

ただし、4人全員がすべての演奏に参加した完全な共同制作ではなく、スタジオミュージシャンや別メンバーが担当した部分もありました。表向きには復活したKISSでしたが、内部の関係は再び不安定になっていました。

2000~2004年|再結成メンバーが再び離脱

2000年、KISSは「Farewell Tour」と銘打ったツアーを開始しました。

しかし、これがKISSの最終活動になることはありませんでした。

ピーター・クリスは契約上の問題から一度離脱し、エリック・シンガーがキャットマンのメイクを引き継ぎます。その後クリスは一時復帰しましたが、2004年に再び離れました。

エース・フレーリーも2002年に離脱し、後任としてトミー・セイヤーが加入します。

セイヤーは、かつてブラック・アンド・ブルーというバンドで活動していたギタリストです。KISSの裏方や再結成時の演奏指導にも関わっており、バンドの楽曲とステージを深く理解していました。

こうして、スタンレー、シモンズ、セイヤー、シンガーという最終ラインナップが完成します。

2004~2018年|新体制の定着とロックの殿堂入り

トミー・セイヤーはスペースマン、エリック・シンガーはキャットマンのメイクを引き継ぎました。

この判断には、「オリジナルメンバーのキャラクターを別人が演じてよいのか」という批判もありました。

一方、KISS側にとっては、メイクやキャラクターは個人だけのものではなく、バンドの世界観を構成する役柄でした。この考え方によって、KISSはメンバー交代後も、観客が期待するステージを維持できたといえます。

2009年には11年ぶりのスタジオアルバム『Sonic Boom』、2012年には『Monster』を発表しました。

2014年には、オリジナルメンバー4人がロックの殿堂入りを果たします。殿堂入りしたのは、ポール・スタンレー、ジーン・シモンズ、エース・フレーリー、ピーター・クリスです。Rock & Roll Hall of Fame

ただし、式典で歴代メンバーを含めた演奏を行うかどうかで意見がまとまらず、KISSとしてのライブ演奏は行われませんでした。

2019~2023年|最後のワールドツアー

2019年、KISSは最後の大規模ツアー「End of the Road World Tour」を開始しました。

新型コロナウイルスの流行による中断を挟みながら、世界各地で公演を続けます。長年の定番となった火炎、爆発、空中移動、巨大スクリーンなどを集大成したツアーでした。

そして2023年12月2日、KISSは故郷ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで、最後のツアー公演を行いました。

最後の曲は、KISSを象徴する「Rock and Roll All Nite」でした。この公演をもって、バンドは恒常的なツアー活動を終了しています。People

ただし、KISSそのものが完全に消滅したわけではありません。

最終公演では、メンバーをデジタル化したアバターによる新しいプロジェクトが発表されました。また、KISSの楽曲、ブランド、知的財産はPophouse Entertainmentへ譲渡され、映画、ドキュメンタリー、アバターショーなどを通じてブランドを継続する方針が示されています。AP通信

2025年|エース・フレーリーの死

2025年10月16日、オリジナルギタリストのエース・フレーリーが74歳で亡くなりました。

フレーリーは、派手な速弾きよりも、独特の間、音色、覚えやすいフレーズを重視するギタリストでした。

煙を噴き出すレスポールや、宇宙人のようなキャラクターを含め、その演奏と存在感は後のハードロック、ヘヴィメタル系ギタリストに大きな影響を与えました。Reuters

KISSは何が革新的だったのか

KISS以前にも、アリス・クーパーやニューヨーク・ドールズのように、衣装や演劇的演出を取り入れるアーティストは存在していました。

しかしKISSは、それらをさらに大規模化し、音楽、キャラクター、舞台装置、ロゴ、ファンクラブ、コミック、玩具、映画、グッズを1つのブランドとして統合しました。

KISSが革新的だった点は、主に次の3つです。

1.ロックコンサートを巨大なショーにした

KISSは、楽曲を演奏するだけでなく、観客が日常を忘れられる非現実的な空間を作りました。

炎や爆発は単なる飾りではなく、曲の展開、メンバーのキャラクター、観客の反応まで計算した演出でした。

2.メンバーをキャラクター化した

スターチャイルド、デーモン、スペースマン、キャットマンという設定によって、KISSは言語の壁を超えました。

英語の歌詞が理解できない子どもでも、写真を見ただけでメンバーを見分けられます。この分かりやすさが、KISSを世界的な存在にしました。

3.ロックバンドをブランドに変えた

KISSは、ロゴやメイクを商品化し、音楽以外からも大きな収益を生み出しました。

現在ではミュージシャンが衣料品、化粧品、ゲーム、映像作品などを展開することは珍しくありません。しかし1970年代に、ここまで徹底したブランド戦略を実行したロックバンドは画期的でした。

まとめ|KISSは何度でも姿を変えて生き残った

KISSの歴史は、オリジナルメンバー4人の成功物語だけではありません。

『Alive!』による大逆転、世界的人気、ソロアルバムと映画の失敗、ピーター・クリスとエース・フレーリーの離脱、メイクを外した再出発、エリック・カーの死、1996年の再結成、そして新メンバーによる長期活動――。

KISSは、時代ごとに音楽性やメンバーを変えながら、そのたびに危機を乗り越えてきました。

評価が分かれる作品や時期もあります。しかし、ロックを「聴くだけの音楽」から「目で見て、参加して、体験するエンターテインメント」へ拡張した功績は非常に大きいといえます。

KISSが残した最大の遺産は、派手なメイクや火吹きだけではありません。

ステージに立つ以上、観客に日常では味わえない夢を見せる――その考え方こそが、半世紀にわたって世界中のファンを引きつけたKISSの本質なのです。

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